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最終更新情報: 6:27:45 pm on 28 September 2011 by 178.239.58.134
*PCCAA4* このページに関する議論(spamが激しいので閉じました。--abee) _ <tt><em>Monday, 15 November 2010, 3:52:23 pm</em></tt> 最後の段落一つコメント追加しました。よろしくお願いします。 -- propella - ありがとうございます。修正しました。最後の段落は全体的に不安です。 --technohippy --やっぱり反語にしたいなと思ってこんな感じにしてみました --technohippy<br/><u>もし「操作的モデル」がアルゴリズム、つまりゴールを達成するための手順を表すものではないというなら、それは一体なんだと言うのでしょう。</u> _ <tt><em>Friday, 12 November 2010, 7:15:48 pm</em></tt> GoldsteinはIra Goldsteinかもしれません。時期的にはPCCAAの後なのですが、共著論文があります。 *ftp://publications.ai.mit.edu/ai-publications/pdf/AIM-337.pdf* --abee2 - なるほど。参考文献にも名前が出てこないようなので、最終的な訳文には「訳者注」という形で入れておくと親切かもしれませんね --technohippy _ <tt><em>Friday, 12 November 2010, 2:43:11 am</em></tt> <font color="blue">青字</font>でコメントを書いて行きます。 -- propella - ありがとうございました。修正しました --technohippy _ とりあえず粗訳。よく分からないところが多いのでピアジェの本一冊読んでからいろいろ直します --technohippy _ _ <center>以下、清書</center> _ _ !「発生的認識論」 ジャン・ピアジェのライフワークは広大で奥深く表面的な要約はほとんど意味を成しません。すでにいくつかの要約や批評(例: Furth: <u>Piaget and Knowledge: Theoretical Foundations</u>)が存在するので、ここではより厳選したものだけを取り上げるのが正解でしょう。 ピアジェの基本概念の次の二つはコンピューターサイエンティストにとって魅力的です。 一つめは、特に年端の行かない子供に置いては、知識は一連の<u>操作モデル</u>として獲得され、それぞれのモデルは幾分場当たり的で、他のモデルと論理的に一貫している必要はないというものです。(それらは本質的に論理的公理や述語、定理などではなく、アルゴリズムやストラテジと呼ぶべきものです。)論理が使用されるようになるのは発達段階のずっと後半で、その段階でも論理を超えたストラテジが取られ続けます。 二つめの考えは、発達が(文化的な環境からは独立しているように見える)一連の<u>段階</u>に沿って進むというもので、それぞれの段階は前段階を土台として構築されますが、認識や一般化、因果関係の予測などの能力で大きな違いが見られます。それぞれの段階に達する年齢は子供ごとに大きく違いがあるものの、ある段階がその前段階にはっきり依存しているという点は変わらないようです。またもう一点、言語は思考の女王ではなくむしろ侍女であり、ピアジェやその他の人たちが見つけた証拠によると、そのような思考は言語に依らない映像的なものであるらしいということも後で重要になってきます。 !!発達段階 ピアジェとブルーナーの二人は発達の段階に名前を付けました。ブルーナーの付けた名前の方が少し分かりやすいので、以下にはそれらも合わせて載せています。 |年齢 | ピアジェ | ブルーナー | 性質 |0- | 感覚運動期 | 動作的 | 反射的反応、<b>繰返し再現させようとする行動</b>、新規な現象への興味、物の永続性の理解 |1.5- | 前操作期 | | 言語的適応の始まり、質量の保存認識は未獲得、長さの保存認識の獲得 |7,8- | 具体的操作期 | 映像的 | 数の保存認識、事象の変換前後での不変なものを認識、推移律 |11,12-| 形式的操作期 | 記号的 | 力学的釣り合いの理解, 仮説演繹的推論/諸法則の帰納 <訳注: この表の内容は主に「ピアジェに学ぶ認知発達の科学」(ISBN:4762825468)の表紙裏の表を参考に対応しそうなものを当てはめました。正直不安ですが元の表と項目が違っても大筋の理解には影響ないと考えています> もし発達段階に本当に依存関係があるのなら、進んだ段階のコンテキストを、まだその準備が出来ていない前段階にいる子供に無理に詰め込もうとすることは、意味が無いだけではなく害のあることかもしれません。例えば、今は子供たちに(「New Math」で)2次元のデカルト座標系での点集合トポロジーをできるだけ早い段階に教えることが流行っていますが、そこで教えられる知識は操作期にある子供は次の段階に進むまで座標系という概念を理解できないということを示すピアジェの一連の実験結果にそぐいません。しかし一方、そのような子供たちは連結、囲い込み、グループ化(全て<b>相対的な</b>概念です)などに関する非常に洗練されたトポロジの概念を持っているとされています。パパートとゴールドスタインはこれらの側面を使用してグローバル座標系を用いずに幾何学とトポロジを教えました。こちらの方がずっと好ましいやり方といえるでしょう。 <訳注: New Math: 1960年代にアメリカで行われた子供たちに早期に集合論を教える運動。失敗に終わった *http://en.wikipedia.org/wiki/New_Math*> <訳注: ゴールドスタイン: Ira Goldstein?> もし「述語的」(論理的、統語的)モデルよりも「操作的」(意味論的)モデルに信憑性があるという前提に立つなら、現在「New Math」で広く取り入れられている非常に統語的な考え方と衝突が起きることになります。例えば、自然数について: <pre> "3 + 5" "4 + 4" "16 - 8" "4 2" "8" </pre> 上記は8という値を表す「数字」になると言われます。 このコンセプトは間違った理解を誘いやすく非意味論的なだけではなく、そもそも間違っています。(「8/3」がどういう数を表す「数字」だというのでしょうか?) ミンスキーは次のように指摘しました。「New Mathの問題点はそれを使用するたびにそれを理解しなければいけないことだ」(20) 子供たちの考え方の基礎と形式化に関するピアジェとその他の人々の研究は、コンピュータが子供の認識論を表現するのにほぼ理想的なメディアであると信じるに足る、非常に説得力のある根拠を与えてくれました。もし「操作的モデル」がアルゴリズム、つまりゴールを達成するための手順を表すものではないというなら、それは一体なんだと言うのでしょう。アルゴリズムはそれほど公式ばってはおらず、論理的な一貫性も必要とはしません(プログラムのデバッグに数時間を費やしたことがある人ならみんなそのことを知っているはずです)。これは全体的で、「真実」を正確に表現するよりも実際の仕組みに興味を惹かれやすいという子供たちの視点にとても適しています。その一方で、コンピュータは「思考」に関係するスキル(戦略と戦術、計画、因果の連鎖、デバッグと改良など)の形成を助けることもできます。寛容で誰からも見咎められず、しかも<u>楽しい</u>環境の中で、子供たちがそのようなスキルを自ら育てるチャンスを得られるというのはなんて得難いことなのでしょう! _ _ <center>以下、粗訳</center> _ _ !"Genetic Epistemology" !「発生的認識論」 |The life work of Jean Piaget is both wide and deep enough to defy any cursory summation. Since there exist summaries and critiques (e.g. Furth: <u>Piaget and Knowledge: Theoretical Foundations</u>), a more selective strategy is in order. ジャン・ピアジェのライフワークは表面的な要約が意味を成さないほど広大で奥深い。すでにいくつかの要約や批評(例: Furth: <u>Piaget and Knowledge: Theoretical Foundations</u>)が存在するので、[ここではより厳選したものを順に説明する]。 |Two of Piaget's fundamental notions are attractive from a computer scientist's point of view. ピアジェの二つの基本概念はコンピューターサイエンティストにとって魅力的だ。 |The first is that knowledge, particularly in the young child, is retained as a series of <u>operation models</u>, each of which is somewhat ad hoc and need not be logically consistent with the others. (They are essentially algorithms and strategies rather than logical axioms, predicates and theorems.) It is much later in development that logical is used and even then through extralogical strategies. 一つめは、特に年端の行かない子供に置いては、知識は一連の操作モデルとして獲得され、それぞれのモデルは幾分場当たり的で、他のモデルと論理的に一貫している必要はないというものだ。(それらは本質的に論理的公理や述語、定理などではなく、アルゴリズムやストラテジと呼ぶべきものだ)[論理が使用されるのは発達段階のずっと後半で、その段階でも論理を超えたストラテジが取られる]。 |The second notion is that development proceeds in a sequence of <u>stages</u> (which seems to be independent of cultural environment), each one building on the past, yet showing dramatic differences in the ability to apprehend, generalize and predict casual relations. Although the age at which a stage is attained may vary from child to child, the apparent dependency of a stage on previous stages seem to be invariant. Another point which will be important later on is that language does not seem the mistress of thought but rather the handmaiden, in that there is considerable evidence by Piaget and others that such thinking is nonverbal and iconic. 二つめの考えは発達が(文化的な環境からは独立しているように見える)一連の段階に沿って進むというもので、それぞれの段階は前段階の上に成り、認識や一般化、因果関係の予測などの能力で大きな違いが見られる。それぞれの段階に達する年齢は子供ごとに大きく違いがあるものの、ある段階がその前段階にはっきり依存しているという点は変わらないようだ。あとで重要になるもうひとつの点は、<del>言語は思考の支配者ではないどころか使用人ですらなく</del><ins>言語は思考の女王ではなくむしろ侍女であり、</ins><font color="blue">(言語は思考の支配者ではなくむしろ使用人であり、<注:mistress と handmaiden のニュアンスを持つもっと良い訳語があるかもしれません>)</font>、ピアジェやその他の人たちが見つけた証拠によると、そのような思考は言語に依らない映像的なものであるようだ。 !!a. stages !!発達段階 |Both Piaget and Bruner have coined names for the stages of development. Bruner's are a bit more descriptive so they are included here also. ピアジェとブルーナーの二人が発達の段階に名前を付けた。ブルーナーのものの方が少し説明的であるので、それらも合わせて載せることにする。 |Age | Piaget | Bruner | Properties | | Sensorimotor | Enactive | Reflexive, REVERSIBILITY, Discrepancy/Novelty, Object Consernation |1 1/2 | Preoperational | | Speech starts, Mass: Not, Length: Conserved |4 | Concrete Operational | Iconic | Length, Conservation, Negation (Inversion), f(x) = y, f'(y) = x, Reciprocity |[?] | Formal | Symbolic | Multi v. Conservation, Hypotheses/Deductions |年齢 | ピアジェ | ブルーナー | 性質 |0- | 感覚運動期 | 動作的 | 反射的反応、<b>繰返し再現させようとする行動</b><font color="blue"><注:REVERSIBILITY って何でしょうね?></font><font color="red"><よく分かりませんでした。参考にした本だと「可逆性」の理解はまだ身に付いてないはずなんですけど・・・></font>、新規な現象への興味、物の永続性の理解 |1.5- | 前操作期 | | 言語的適応の始まり、質量の保存認識は未獲得、長さの保存認識の獲得 |7,8- | 具体的操作期 | 映像的 | 数の保存認識、事象の変換前後での不変なものを認識、推移律 |11,12-| 形式的操作期 | 記号的 | 力学的釣り合いの理解, 仮説演繹的推論/諸法則の帰納 <訳注: この表の内容は主に「ピアジェに学ぶ認知発達の科学」(ISBN:4762825468)の表紙裏の表を参考に対応しそうなものを当てはめました。正直不安ですが元の表と項目が違っても大筋の理解には影響ないと考えます> |If the stage dependency is real, if may be worse than useless to try cramming context from upstream stages down children's throats until they are ready. For instance, it is now fashionable to teach children (in "new math") point set topology on a 2-dimensional cartesian coordinate system at the earliest possible age. The wisdom of this is contradicted by a series of Piaget's experiments which show that children in the operational stage simply do not grasp the notion of a coordinate system until later on. However, they do have very sophisticated notions of topology, connection, enclosure and grouping - all RELATIVE concepts. These facets were used by Papert and Goldstein to teach geometry and topology without reference to a global coordinate system - a much more satisfying state of affairs. もし発達段階に本当に依存関係があるのなら、進んだ段階のコンテキストを、まだその準備が出来ていない前段階にいる子供に無理に詰め込もうとすることは、意味が無いだけではなく害のあることかもしれない。例えば、今は子供たちに(「New Math」で)2次元のデカルト座標系での点集合トポロジーをできるだけ早い段階に教えることが流行っているが、それらの知識は操作期にある子供は次の段階に進むまで座標系という概念を理解できないということを示すピアジェの一連の実験結果にそぐわない。しかし一方、彼らはトポロジ、接続、囲い込み、グループ化(全て<b><del>関連した</del><ins>相対的な</ins></b><font color="blue">(相対的な<注:ここは絶対座標との対比だと思います>)</font><font color="red">(なるほど。変だなと思いつつよく分からなかったのでそのまま訳してました)</font>概念である)などに関する非常に洗練された概念を持っている。これらの側面はパパートとゴールドスタイン<font color="red">(これ、誰なんでしょう?)</font>によってグローバル座標系を用いずに幾何学とトポロジを教えるのに使用された。こちらの方がずっと好ましいやり方といえるだろう。 <訳注: New Math: 1960年代にそう言う運動があったと *http://en.wikipedia.org/wiki/New_Math*> <訳注: パパートはLOGO作った人。ピアジェと交流があった ( *http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88* )> |If we believe in the veracity of "operational" (semantic) rather than "predicative" (logical, syntactic) models, a quarrel has to be made with the very syntactic notions currently in favor in "New Math". For example, in natural numbers: もし「述語的」(論理的、統語的)モデルよりも「操作的」(意味論的)モデルに信憑性があるとするなら、現在「New Math」に広く受け入れられている非常に統語的な概念と衝突が起きることになる。例えば、自然数について: <pre> "3 + 5" "4 + 4" "16 - 8" "4 2" "8" </pre> |are said to be "numerals" for the number eight. 上記は8という値を表す「数字」になると言われる。 |This concept is not only misleading and nonsemantic, it is also wrong. (What number is "8/3" a "numeral" for?) このコンセプトは間違いを誘いやすく非意味論的なだけではなく、それ自身誤りでもある。(「8/3」はどういう数を表す「数字」なのか?) |Minsky has noted: "The trouble with new math is that you have to understand it everytime you use it". (20) ミンスキーは次のように指摘した: 「New Mathの問題点は[それを使用するたびにそれを理解しなければいけないことだ]」(20) |Piaget's and others' work on the bases and forms of children's thought is a fairly convincing argument for believing that computers are an almost ideal medium for the expression of a children's epistemology. What is an "operational model" if not an algorithm, a procedure for accomplishing a goal? Algorithms are fairly informal and not necessarily logically consistent (as anyone who has ever spent a few hours debugging a program well knows). This fits in well with the child's viewpoint which is global and interested in structure rather than strict implication of "truths". ON the other hand, the computer also aids in the formation of skills concerning "thinking": strategies and tactics, planning, observation of casual chains, debugging and refinement, etc. Rarely does a child have a chance to practice these skills in an environment that is patient, covert <u>and fun</u>! 子供たちの考え方の基礎と形式に関するピアジェとその他の人々の研究は、コンピュータが子供の認識論を表現するのにほぼ理想的といえるメディアであると信じるに足る、非常に説得力のある根拠を与えた。<del>もしそれがアルゴリズム、ゴールを達成するための手順ではないとしたら「操作的モデル」とは何なのだろう?</del><ins>ゴールを達成する手順としてのアルゴリズムである以外に、「操作的モデル」とは何なのだろう?</ins><font color="blue">(ゴールを達成する手順としてのアルゴリズムである以外に、「操作的モデル」とは何なのだろう?<注:これは訳しづらいですが、上の方で operational model は algorithms であると言っているので、if not を直訳すると日本語として読みづらいと思います。>)</font>アルゴリズムはそれほど公式ばってはおらず、論理的な一貫性を必要としない(プログラムのデバッグに数時間を費やしたことのある人ならみんな知っているだろう)。これは大域的で「真実」の厳密な暗示よりも構造そのものに興味を持つ子供たちの視点によく適合する。その一方で、コンピュータは「思考」に関係するスキル(戦略と戦術、計画、因果の連鎖、デバッグと改良など)を形成する助けにもなる。寛容な自分だけの<u>楽しい</u>環境の中で、子供たちのそのようなスキルが育てられるというのはなんて得難いことだろう! *PCCAA6*
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